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結論は、「社会云々言う前に、目の前のことを頑張ろう!」です。

今回は、駄文になりますが、少しお付き合いください。

最近、年配の方たちと話をする機会が多いです。そうすると、「失敗しても良いからもっとやりたいことをやったら」、「体力もあるんだから、悩んでいるくらいなら優先順位関係なく全部やった方が良い」、「君たちがこれからの日本を作るんだからもっと頑張れ」ということを良く言われます。

一方で、学生たちともよく話します。みんな良い子たちです。自分も単純なので持ち上げてもらうとそれだけで満足してしまいますが、心の底では「もっともっと自分の感じたことを好きに発言すれば良い」のにと思うこともあります。そして、「親や世間の価値観に振り回されず、自由に動けば良いのに」とも思います。(自分に全てを話していないという可能性もありますが・・・)

「大学生たちとはもう10歳近く離れてしまったんだ、自分も年を取ったなぁ・・・」と、しみじみと思いながらも、「あ、自分も年配の方と同じこと言ってる!!」と気づき、年配の方たちから言われたことの意味がなんとなく腑に落ちたように思います。

それは、自分たちが作ってきたことややっていることに敬意を持ってもらいたいという気持ちがある反面、自分たちはある種古い人間になってしまったのでそういった既存のものを否定して(もっと言うと、ぶち壊して)さらに良い社会を作るような気概をどこか期待している部分があるということです。20歳の学生と比較すると自分は10年古い人間です。ですので、「10年分若い感性の独特な意見をもっと主張してくれよ」と、思うわけです。おそらく、年配の方も自分にそう思っているところがあるということがなんとなく分かりました。

言い換えると、

・青臭い感じ
・世の中を舐めた感じ
・世間知らずな感じ

といったような一見すると既存の価値観で叱責をして終わってしまうようなものの中から生み出される動きにどこか期待をしているということかも知れません。もちろん、普遍的に大切なことや良い所には敬意を払い、肯定することは必要だと思いますが。そういった気持ちを大切にできない社会は余裕のない社会となり、前例主義から変わらないつまらないものになってしまうということを、みんな頭ではなんとなく分かっているのかも知れません。

ただし、これは「若いから、頑張ろう!」という話ではありません。結局、年齢なんて相対的なものでしかなく、80歳の人から見たら50歳でも「若い!油がのってきた時期だ。勢いも影響力もある時期に、社会を変えるために頑張ってくれ!」なんて思うかも知れません。つまりは、社会に敬意を払いながらも、良くない部分を自ら再構築していくという気概を、年齢関係なく常に持つことが大切だということです。

反対に、年齢関係なく今の社会に不満をたらたら言い、新しい価値観を否定するようになったら末期だとも思いました。不満の解消をする努力なしに、前向きに動く人を封じ込める社会に未来はないと思います。

けれども、文章を書いていてそこに自分の反省点を見つけました。自分もですが、新しいことをやる人は性格的に尖っている所があるように思います。もちろん、超越してものすごく柔らかく良い方もいますが。ですが、自分は好き嫌いが激しい性格のため、気の合わない人をその人のやっている活動を含めて否定する癖があるなと気づいたので、そこは改めなければいけないと思いました。世の中を良くしようと動いている仲間だともとれますよね。これが大人になるということですかね(笑)。

そのようなことをもろもろ思いながらも、そもそも自分は人に強制されないで自由に動きたいと思い、社会人経験をしないで会社を作った人間なので、自分は社会なんて知らない訳です。そんな人間が「社会」とか「世間」を偉そうに語り出したらそれこそダメな人になってしまいますので、自分は目の前のことを頑張ろうと思いました。

投稿者プロフィール

風間 正利
風間 正利
株式会社おせっ甲斐、代表取締役の30歳。「山梨でなにかやりたい!」という想いが強くなり、大学院修了後山梨に戻り、甲斐の国・山梨を良くするまちづくり会社「おせっ甲斐」を設立。現在は海外事業の共同代表として、ニュージーランドと日本を往復しながら、半球をまたいだ二拠点事業の仕組みを構築中。一方、仕事の傍ら、早朝勉強会「得々三文会」を立ち上げ、熱い想いを持った人の話を聞くことに夢中。