活動の理念が立派である場合そのことの是非を問えなくなると、まわりの人を抑圧してしまうことがあります。
極端なたとえで説明すると、「あなたはこの活動の理念に共感して、活動に参加をしたのですよね?ならば、もう少し努力をした方が良いのでは?」というような雰囲気が組織にできてしまうということです。
その結果、長時間労働や自己否定が起こってしまうこともあります。
活動にのめり込めばのめり込むほど活動は理念にそって動くようになり、理念の是非が問われることが少なくなります。多くの人がかかわるようになると理念にそってそれぞれの方が動いてくれる状況はありがたいものだからです。
しかし、理念が個人の気持ちを押しつぶしてしまったり、理念そのものにに対して疑問を投げかけられない雰囲気があるのは良くないと思います。
「その理念は今の時代に合っているのでしょうか?」
「今の時代でも○○ということが必要だから、合っていると思います」
「確かに、納得しました」
というようなディスカッションの機会がないと組織もブラッシュアップしていかないと思います。活動の主体者が自己を肯定するために理念を無理矢理正当化させていることもあるからです。そして、反対に、もしかしたら、ディスカッションからさらに良い理念が見つかったりするかもしれません。
組織が大きくなったり、活動に勢いがついてくると、多少の無理がどこかで発生するものです。
そのときに、ある種の理念の押しつけによる抑圧は意識しておいた方が良いと感じます。