夜のウォーキングを続けられるようにするにはどうすれば良いかを相談したことがあります。
そのときに、「電柱間でつま先歩きをするなど、ゲーム感覚でウォーキングを楽しむ」「大きい公園などに車を駐めて、スタート地点を変えて、新鮮な感覚でウォーキングを楽しむ」といったアイデアを頂きました。
一方、「夜のウォーキングは身体に良くない。その時間があるなら早く寝て、朝にウォーキングをした方がルーティン化しやすく身体にも良い」という意見も頂きました。
「確かに、そうなんだけど・・・」という感じです。笑
自分はまとまった夜の時間にウォーキングを楽しみたい訳です。それは健康のためということもあります。ですが、健康のためという部分を切り取ると、朝の方が良いのかも知れません。しかし、ウォーキングを行うことを習慣化するならば、実際にやり始めている夜の時間に楽しむことから始めた方が良いかも知れません。その結果、朝のウォーキングに移行するかも知れません。けれども、いきなり早起きとウォーキングを一緒に行うのはハードルが高く、挫折し、結局ウォーキングをしないかも知れません。
ありがたいアドバイスなのは承知していますが、この回答から、「確かに、そうなんだけどそれじゃない!」という印象をうけてしまいました。
しかし、このような会話のずれは意識しないと行いがちです。たとえば、自分も下記のような会話を良く行っていることに気がつきました。
自分:「とりあえずやってみれば良いじゃん」
相手:「いやいや、それができないからどうすれば良いかを聞いているんじゃないですか」
自分:「え、なんで?やらないと分からないじゃん。やってみれば良いじゃん」
相手の聞きたいことは、「一歩踏み出す方法を細かく聞きたい」という部分だと思います。しかし、「一歩踏み出すハードルの高さの基準」が自分と相手とは全く違うのに、自分はそこを考慮せずに、アドバイスをしてしまっている訳です。
しかし、どちらも、相手のことを思っているのです。
「夜のウォーキングがやりたいです。どのように楽しみながら続けられるかを知りたいです」⇒「夜は身体に悪いから朝やりなさい」
だと、かちんとしてしまうこともありますが、下記だと納得度が高くなるように思います。
「夜のウォーキングがやりたいです。どのように楽しみながら続けられるかを知りたいです」⇒「スタート地点を変えて楽しむと新鮮で長続きしますよ」⇒「まずは、ウォーキングを習慣化しましょうね」⇒「習慣化できたら、夜は早めの睡眠を心がけて、朝のウォーキングに切り替えていきましょう」
向かう先が同じで、かつ、相手のことを思う気持ちがあっても伝え方1つで伝わらなくなってしまうことがあると痛感したできごとでした。