今回は現在進行形の話のため、結論は「現場と事務の両者には、それぞれの特性と悩みがあるので、まずはそこを互いに理解し合いましょう」というものです。当たり前の話ではありますが、そこが大切だと思いました。その後、ケースバイケースで各々の組織にあった仕組み作りをすれば良いのだと思います。

「現場の判断をどこまで尊重するのか」という問題は、組織経営で悩ましいものだと思います。

不確定要素の多いプロジェクトの場合、現場の感覚を大切にし、現場判断で物事をすすめる必要性が出てきます。

一方、事務側は、現場の状況把握に必死になります。というのは、「現場は大変な状況の中、最適な判断をしている」という現場から出てくる言葉には説得力があり、事務側がその判断の精度を問うことを難しくする雰囲気が出てきてしまうからです。

しかし、事務側は現場側が行った判断が本当に正しかったのか、そもそもとてつもなく忙しい状態に陥っている時点で現場の動きには改善点があるのではないか、と考えてしまいます。

そのため、ある程度の、客観視ができるような情報共有のやり方を事務側は現場側と模索します。かといって、最初から緻密な計画書を提出させたり、日々の日報の提出を細かく要求すると、そちらの作成が目的になってしまい本末転倒な状況にもなります。

そのように、話がこじれ現場と事務側の理解が深まらないと、「現場は何も考えていない」、「事務は現場の気持ちが分からない」という溝が生じてしまいます。

実際に、自分もニュージーランドの畑で作業をしている人たちと、日本で事務作業をする自分との間に溝を感じた時期もありました。

今現在もシステムは模索中ですが、そのときは、下記のように、相手の立場にいると生じる問題点を互いに理解し合いました。そうすると、精神的に不愉快になることは減りました。

たとえば、農業の現場は植物の成長をもとに作業をしなければならずイレギュラーが生じやすかったり、タイムリミットがあるため、その場の判断が大切だということを事務作業側が理解しました。

一方、事務作業は作業内容が見えなかったり、考えている時間も多いため、費用算出の妥当性が栽培現場に比べ見えにくいという悩みもあります。そのため、「事務は楽で良い」という印象を持たれやすかったり、事務作業は直接的な収益につながらないことも多く現場に対して意見を遠慮してしまうことを現場側に伝えました。

最適なシステムを作ることはもちろん大切ですが、まずは溝ができたと感じたら、互いの特性や悩みを共有しておくと、あとの作業が行いやすいと感じました。